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2013-07-20

水墨画ボランティア報告(宮城沿岸部) 【総集編・1年半の活動の〆】

1年半、6回の訪問に渡る南三陸での水墨画講座ボランティア活動が、6月をもって終了しました。

201306 水墨画ボランティア まとめ03

一緒に現地入りしたメンバー、ようじくん、ボランティア団体RQ~WE 関係者の方々、嵐酔先生と教室生の皆様、友人、知人、私や同行メンバーの家族、
「皆様のご理解・ご協力・募金・応援くださる言葉や気持ちにより継続できた活動です。
支えてくださった多くの方々、心よりありがとうございました!!!」



南三陸で出逢ったみなさまへ
「講座に参加するには勇気がいることもあったでしょうが、一歩踏み出してくださり、ありがとうございました。
一緒に描くことで心温かくなる時間が過ごせ、自然な優しさや温かみのある作品たちに、私たちもいつも笑顔になることができました。
回を重ねるごとに、心の距離が縮まっていくことも嬉しかったです。
ひとつ、帰る場所ができたような感じすらします。
本当に、ありがとうございました!!!」



そして、主催した自分へ
「ゼロからの一連の活動は想像以上に大変だったね、本当にお疲れ様!」




【 今までの簡単な経緯 】
約5年前に私が世界中を旅していたころ、偶然タイで出逢い一緒にダイビングをした穏やかでたくましい友人、ようじくん。
彼は2011年の震災直後から、半年以上南三陸でボランティアをしていました。
被災者が仮設住宅に入居し始めた2011年末、ようじくんのご紹介で、私はRQW(現Women's Eye)と繋がり、
2012年から仮設住宅での水墨画講座をスタートし、今に至ります。
出逢いって不思議なご縁です。
また、どんな未来に進むのか、楽しみです。



【 6回の訪問を終えて 】
春夏秋冬の約3か月おきの6回に渡る南三陸訪問で、合計20回の講座を開催しました。
参加人数は数えていないのでわかりませんが、少ないときは3名から多いときは15名くらい。

第1回のときは、震災からまだ1年経っていないころ。
東京からボラセンの大きな車を運転して雪降る宮城へ。
思えば第1回が一番ハードでした。
それからは、メンバーとのやりとりで悩んだり、水墨画教室での募金を中止にしなければいけなくなったり。
振り回されてこんなにストレスがかかるなら、私の評判にも傷がつくならば、そこまでして続けるものなのか、と思った時期もありました。
でも、全ては自分が始め、決めてきたこと。当初の予定通り、1年~2年は絶対に続ける、と頑張りました。
安心してスムーズに現地入りすることができるようになったのは、3、4回目あたりからでしょうか。

仙台に住む近藤さんがコアメンバーになってくれたことが特に心強く、安定して6回まで終了することができました。


終えてみて、「始めてよかった。続けてよかった。」って思いました。
私たちの講座を通して参加してくれた人数は、被災者の数に比べればほんの一握り。
でも、自分が出逢った人の心が温かくなる笑顔になれるようなことができるように。と、いう思いは最初も今も変わりません。
というか、場所に関わらず、私がそういう思いで人生を生きています。

たくさんの人に役立つような活動ではないけれど、ご縁があった人との時間を大切に、という気持ちで続けてきた被災地講座。
振り返れば、それ以上に影響力もあったのかもしれません。
少しでも被災者を身近に感じ続けてもらおうと、毎回報告書を教室で配り、ブログに記事を載せ、友人・知人・家族には
南三陸の話をしたり写真を見てもらったり。
そんなことしかできないですが、思い返せば多くの人たちに認知をしてもらい、協力・応援からパワーをもらい続けてきたと思います。
私の知らないところで、そんな話を家族としていた方もいるでしょう。
「慈善活動をできる範囲でやってみよう」とか、「人に優しくしよう」とか、「踏みとどまらずに挑戦してみよう」とか、
誰かの心に小さな変化をもたらすことができたかもしれません。

また、講座に同行してくれたメンバーはみな、「来てよかった」と言ってくれました。
「一人でも多くの人が、被災地を訪れるきっかけに」ということもひとつの目的。
この活動を「しない」と「する」では、全く違ったことがたくさんあるのかもしれないと思いました。


私自身には、この活動を通して、本当に多くの変化がありました。
・大震災が、身近な現実と受け入れられた
・そこに生きる人々、復興・再生に取り組んでいる人たちとの直接的な関わりで、現在進行形の貴重な話を聞けることにより、多くに気づき、学び、理解と関心が深まった。
今後もどうやって関わっていくか考えている。
・南三陸町や登米って、自然にあふれる本当に環境の良いところだと知った。
 四季ある日本の素晴らしさを心から感じられる場所だ。
誰かのために、未来のために行動している人たちといる空間は、まっすぐ話ができるし、素直に居心地が良いと思う。
自然も人間も、変化していく、変化させていくものだと思う。
って、不思議だなと改めて思った
・やめると決断するのに随分と悩んだけれど、水墨画家である自分と真剣に向き合う機会になった。
・大変そうなことも、初めてのことも、良いことには挑戦してみること!
 一人が踏み出す一歩から、大きい行動につながるのだということを身をもって実感した。
責任者の立場は良い経験になった。
・改めて、人は一人では生きていけないと、周囲の人、そして良しも悪しもその環境全てに感謝して生きようと思った。



【 仮設に住むみんなのこと。私の想い 】
なんだろう。
今は2013年7月。
仮設住民という言葉自体に違和感を感じる私は、東京にいるからかな。
3か月ごとくらいに南三陸へ行っているけれど、なんだか同じ時間軸を行き来している感じがあまりしない。
南三陸の方たちもこの記事を読んでいるから、淋しく感じる記事は書きたくないけれど、同時に現実を見てこそ正しく前に進むといつも思っているから、気持ちを記しておきます。
東京で誰かと話していて、原発以外の東北大震災被災地に対する誰かの考えを聞くことって今はほとんどありません。
ありがたいことにここ数年自分の周りは心温かな人に恵まれ、気持ちよく過ごしているのだけど。
冷たい人・無関心な人だからではなくて、良い人・明るく素直な人が多いように思うのだけれど。

でもきっと人間てそうなんだね、なんとなく心に留めることがありながらも、みんな自分の今を生きている。
私もそう、水墨画家としてただならぬ使命感を持って生きている。

仮設のおうちに住んでいる人たちは、まだまだたくさんいるってことも進行形だし、その人たちが一生懸命前向いて生きてることもまたしかり。

「被災者だから」とか「仮設住宅に住んでいる人」とかではなく、私は「この1年半で南三陸で縁があって出逢った人たち」の進む道を応援したいし、縁を大切にして未来を紡いでいきたいし、私のことを応援してくれる気持ちにはパワーをもらっています。
きっかけは震災だけれど、住んでいるところは今はまだ仮設のおうちだけれど、私の心には他の友人たちとの差も壁もなく、ただ私の人生の中でご縁があった大切なひとりひとりに、今はなっているのです。

被災地、という気持ちは私の中でも薄れているのは事実だし、「私は絶えず被災地のことを思っています」だなんてうしろめたく包み隠そうとも思わない。
でも、変わった心の中で、もっとみんなとの距離が縮まったから、きっとそれは淋しいことじゃないんだと思います。




きっとここに書ききれないたくさんの思いと経験がつまった活動だったのだと思うけれど、とりあえず思い浮かぶことを書いてみました。

次回は最後の記事【 総集編・これからの関わり方 】です。
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私の移ろい
ブログを始めたころから今まで、心境も絵も変化しており、ブログを閉じてHPだけにしようかとも考えました。が、このブログ自身もまた、現代に水墨画家を志すとはどういうことか、というリアルだと思い、継続させています。
プロフィール

水墨画家 麻貴

Author:水墨画家 麻貴
幼少期は、祖父と一緒にお絵かきしながらお昼寝の毎日。小~中学校と書道を習い、大学時代から水墨画を嗜む。

水墨画師範免許取得を区切りに、学びを深めに単身本場中国へ大学院留学中。
国際的な墨芸術家として、日本水墨画の発展向上と共に、完全なクリーン化・ユニバーサル化を目指す。

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